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楽ちん堂へ行くこと
楽ちん堂、というのは私にとってはつい最近、あの場所が名乗っている新しい名前、というかんじだ。
もともと、女将(これも私には新鮮な呼び名で、私個人はきーこおばちゃんと呼ぶ)と亡くなった演出家、森田雄三が、私の両親と友達付き合いをしていたから、私は赤ちゃんの頃から彼らの家に出入りしており、息子たちと遊び、十代後半からはイッセー尾形のひとり芝居の個人事務所としての森田家にもとてもお世話になっていた。
演出家、森田雄三が亡くなり、その芝居の仕事がまるまま継承されたわけではなく、そのエッセンス、方法論を忘れずにやって行こうという「飲食店」が楽ちん堂カフェである。と認識しているが、定かではない。
ここ一年ほど、楽ちん堂には行っていなかった。引っ越しやコロナや仕事や、理由はいろいろあったが、私は結局まだ自分が森田雄三の死を受け入れていないのではないかと感じることがある。だから、行けないのではないかと。楽ちん堂には森田雄三の不在が鎮座ましましているのだ。
私はそんなもの見たくない。
「いや、受け入れた。もうわかった、いないんでしょ!」という感じでは受け入れているが、実際、よっちゃんの遺影を見ると「チッ、認めてないからな」と思ってしまう。まだわがままを言いたくなる。
こんなにみんなの日常生活が脅かされている日々に、あの森田雄三が主観でばんばん色々言わないなんてつまらない。
私はよっちゃんに会いたい。
森田雄三のことを「よっちゃん」と呼ぶのは、もう高橋家の人間だけだそうだ。
今日は仕事帰りに電車に飛び乗り、そのまま楽ちん堂へ向かった。時間としてはそれほど遅くはなかったけれど、辺りはもうとっぷりと暮れた夜のような暗さで、私は心細い気持ちながら、なぜか事前に電話連絡をせずに二子玉川からバスに乗り込んだ。
同じバスには男女の二人組とおばあさんがひとり、青年がひとり乗っていた。ほんの二駅か三駅、暗い道を走る間、なんとなく、ちゃんと着くかなと思っていた。着くとわかっていたのに。
楽ちん堂では、来るなりお腹が空いたと言ってビールを飲み、牡蠣のパスタを食べ、焼きりんごを食べ、赤ワインと白ワインを飲み、生牡蠣を食べ、ずっと喋っていた。
ここに来ると、自分がまだ子供じみたい振舞いで安心を得ようとする瞬間や、男性への嫌悪感に振り回されていた時期のことを鮮明に思い出す。自分がまだ吹っ切れない何かや、私の嫌いな私を自分の中に垣間見る。
楽しい道場ってかんじだ。ごちそうさまでした。
2021/07/30(金)
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私が精神的に一番苦しかった頃
私が精神的に一番苦しかったのは、十代の半ばから二十代の半ばくらいまでだ。意識して長い文章を書き始めたのもちょうどその頃だったけれど、当時は自分で自分を治療するような意味合いが大きかった。
高校生の頃、自分の心がどーんと落ち込んでいったきっかけを思い返すと、今でも解決できない矛盾にぶつかってしまう。
私は美術を学べる高校に入ったのだが、当時の女子高生は「コギャル」や「女子高生の売春」の問題がすごく取り沙汰されていた時期で、社会的なブームのひとつだった。女子高生はさながら、流行りの性の対象、みたいなかんじだったのだ。
私はまったくギャルっぽさのない女子高生だったが、制服でいても、私服でいても、見た目は全然おかしなところのない背広を着た男が、街中で「いくら?」と話しかけてきたりした。
私は、そういう背広を着た男たちが会社に行って仕事をして、日本の経済、社会を回しているのだと思った。私も今後、学校を出たらそんな社会に入っていくのか、と思ったら、もう暗澹たる気持ちしか湧いてこなかった。
当時のニュースでは供給する側の少女たちばかりを取り上げていたように思うが、社会的に何の問題もなさそうな男たちが買春している事実はどこまで掘り下げられただろうか。
通学路、民家の木には使用済みのコンドームが成っているみたいにぶら下げてあったし、登下校中は痴漢に気を付けて、ポケットには髪に留めるピンや、安全ピンを忍ばせている子もいた。ああいったことは誰に言えば助けてくれたのだろう。
そういったことで蓄積された女性であることでかかってきたストレスが爆発したのが、私が一番病んだ時期だった。
小学生のときは、自分は女の子だけど、もっとフラットな存在だった。少女漫画の中でキャラクターが恋愛していても、自分には全く関わりのない物語として楽しんでいた。それが変わったのは中学入学以降だ。
私は第二次性徴は芳しくない子供で、今でも胸は平らだし、生理が来るのも周囲に比べたら遅めだったように思うが、それでも女性として見られるようになった。そこで、フラットだったはずの自分が、周囲の男性の視線に合わせた仮面を持ってしまったのだ。あまりにそれを求められるから、かぶった方がいいのかと思って、とか、かぶって慣れちゃえば楽かなと思って。とその程度の無意識さでかぶり始めた仮面は、すぐに石仮面のように顔に同化してしまった。実際、その方が楽な場面もすごく多かった。
私は自分が女の子であることで、女である前に自分がいったいなんなのかわからなくなっていってしまったのだと思う。
それはもう、小説を書き、なんでも見聞きし、男性とも関わりまくったが、仮面はなかなか取れなかったし、自分にあるのは都度の好き嫌いや判断だけだった。
死んでしまいたかった。
その苦しみが緩和され始めたのは、けっこう後になってからのことだ。
きっかけは、実家から出て一人暮らしをしようとしたとき、最初に行った不動産屋でのことだった。私の担当に着いた明るい茶髪でロン毛のおじさんの案内で物件を決め、契約書を交わした段階で、そのおじさんから「契約おめでとうございます!とりあえず飲みに行きませんか?(絵文字)」みたいなショートメッセージが届いたのだ。つまり、おじさんは私が契約書に書いた連絡先を勝手に自身のスマホに登録して私を誘ってきたわけである。
私は「やっと契約したところだけど無理かも」と両親に話した。
その時、事態を把握した母親が咄嗟に「慶、どんな格好で不動産屋さんに行ってた? お化粧してた?」と聞いた。
私はそれにすごく驚いて、一瞬、止まってしまった。すごく傷ついた。仮に自分がミニスカートだったら私が悪いのか、逆にノーメイクでズボンなら、同情されるべきことになるのかと一瞬で考えた。
すると、父がすぐに横から「どんな服装でも化粧してても関係ない、勝手にアドレス使って連絡してくる方が悪いよ」と言った。
母は別に私を批判しようと思って聞いたわけではなかったそうだが、私はその件で母に対しては長年どこか不信感を抱いており、その後もたびたび人権意識というか、女性感というか、その辺で齟齬があるといちいち言うようにしている。(基本的には仲はいい方だと思うんだけど)
不動産屋には父が大きくプリントしたメールのスクリーンショットを持って行き、賃貸契約を解除した。
この不動産屋事件をきっかけに、私はやっと、自分がどんな格好をしていても、男性が性的な目を向けて不用意に何か言ってきたり、いやなことをしてきた場合、向こうが悪いと全力で怒っていいのだとはっきりとわかった。
すごく遅く感じるかもしれないが、私が二十九歳くらいの頃は、痴漢に遭う女性がいても、女性の側にも落ち度があったのでは、みたいな意見の人の声が今よりずっと大きくて、それがさほど問題にもならなかったのだ。
私が二十代を苦しんでいるころ、よく年上の女性に「30過ぎたら楽になるよ」と言われていた。それはもちろん、大人になって何かが理解できたり、今より問題に対処できるようになるという意味合いもあったとは思うが、年を重ねると、男性目線で作られた女性像に振り回されることがものすごく減っていくからということともとれる。
実際、私は三十歳を過ぎてすごく楽になったが、その一端には確実に、自分がある種の男性の言う「若い女」のカウントから外れたからであるような気がする。
それでも、変なことを言われたりされたりすることはあるし、こういう話をすると「そういう話、する人なんだ」と面倒くさそうにする人もいる。でも、私は少なくとも今の社会の方が少しは生きやすくなっている。
2021/07/30(金)
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三の酉
お返しする小さな熊手と人に渡す献本を手提げに詰めて、三の酉に出かける。
花園神社へ行く前に伊勢丹に行き、お歳暮コーナーで贈り物の手配をしようと思ったのだけれど、看板には『ご案内まで二時間以上かかります』と書いてあったので、実物をチェックしてネットで注文することにする。
普通はそうするものなのかな。番号札を持って待っているのは年配の方が多いようだった。
その後、伊勢丹の中を少し見て回ってすっかり華やいだ気持ちになって花園神社へ。
去年は外まで行列が伸びていて、待ち合わせをした友達と会うのにも一苦労だったが、今年は列も短くて、食べ物の屋台もないからさっぱりしたものだった。
なんだか気温も高かったから、例年ほどの年末感は抱かずに参拝し、熊手をお返しする。
今年も小さくて気に入ったものがあったら(本当は年々大きくしていくのが習わし)……と思ったのだが、なんだかやる気が湧かなかった。今、ぐったり疲れているということもあるし、これから私が今の仕事を続けていくなら、どういう目的でやるのか、そのために何をやらないのか、もっと考えなくてはいけない。
その後、歌舞伎町のデカメロンというお店に、本を私に言った。私の人生の中で、もうやんカレーの脇の道を入っていくことがあるなんて、というかんじだ。
※
昨日か一昨日、ふわふわぶにょぶにょのパンケーキが食べたいなあと不意に思ったので、すっかり参っている自分にパンケーキを食べさせる。
今は、元気な時の自分なら無視してしまうようなささやかな欲望を拾っていかないと心が凪いでしまう。
昨日、近所のかわいい靴修理屋さんに、死蔵していたまっピンクな靴の底に滑り止めをつけるのを頼んだ。店員さんも感じが良くて、お洒落な雰囲気の方だった。
私はそれが土曜日に引き取れるのが楽しみで仕方がない。ベージュのワンピースとか、黒のワンピースに合わせたい。
2020/11/27(金)
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仕事
ふと足元に視線を落とした時、その人のスニーカーは薄汚れて穴だらけで、穴からは素足がのぞいていた。
私は内心驚いたけど、もちろん、顔にも声にも出さなかった。なるべく。でも、その後、心の中がぐちゃぐちゃになった。
私はその人のスニーカーの様子から、質問に正確な答えを出すよりも、よく話を聞いてあげることが大事なお客様だと瞬時に判断した。これまでの経験から、年配の男性で、身なりの整っていない人の場合、そういうことが多かったから。もちろん、私の仕事はカウンセラーでもホステスでもないのだけれど、目的の違う話題にも、仕事の時間の中でならば付き合おうと決めている。でも、自分で決めているのに、私はこの人のさみしさを埋めるためにこうして笑顔で話を聞いているんだと思ったら、途端に虚しい気分になってくる。
それに、私はこの人を、話し相手を求めているタイプの人だと判断したけれど、相手を孤独だと決めつけて、こうして熱心に頷いて「あげて」いるなんて、なんて気味の悪いことだろう。でも、短い時間の中ではそういう判断を行っていくしかなく、実際、この判断は正しくて、脈絡のない疑問の話を一通りじっくりと聞き終えたら、その人は満足気に帰っていった。
私はその、数日前に見た穴だらけのスニーカーを忘れられない。
素足にあんな靴では寒い。
2020/11/23(月)
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めまい
コロナ前まで貧血の治療をしていたので、先週からのめまいも貧血かしらと思って病院に行ったのだが、よくよく話してみると貧血ではなかった。
貧血のこめかみから上がスーッとして目の前が真っ暗になるかんじのめまいに対して、今回は視界がぐるぐる回って、ちょっと酔うみたいなかんじだ。
お医者様の話ではそれは耳鼻科系に原因があるそうで、調べてみると、内耳の血流が悪いらしい。血流が悪いといいうと冷えとかむくみが思い浮かぶが、ひとまずはもらった薬を飲んで経過を見ることになった。
※
小説の原稿を書いていたのだが、ちょっと作業が止まっている。
めまいと連絡が滞っていることが主な原因なのだが、無暗に空いた時間があると自分の嫌いなところばかりに気が向いて落ち込んでしまう。
創作者は、少なくとも創ったものが誰かの目に触れなければ役に立たない、まるで幽霊みたいなものだ。
今の私には過去に愛した作品は私を救ってくれる天使でもあり、足枷でもあるというかんじだ。もっとがんばらなければ、私の思っていることをもっとちゃんと突き詰めなければと思う。
※
noteをどうするか考えている。noteはすごく写真がアップしやすいつくりなので、写真を置く場所として使うか、これまでの記事だけ残して置いておくか。
アツギの件に関してもそうだが、私は不買運動やボイコットのようなことをしたいわけではなくて、ただ純粋に気持ちが離れてしまったので、使うことに引っかかりを感じている。
もちろん、アツギのお気に入りのアスティーグは予備がなくなるまでちゃんと使うけれど。
2020/11/20(金)
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