先日、話の流れでどんな悩みがあるのかと聞かれることがあったが、上手く答えられなかった。言いにくくて口に出せないのだ。

コロナ禍で叔母が自死してから、自分が少し馬鹿になったような気がしている。頭が回らなくなったというか、考えることに疲れるのが早くなったというか。
それ自体は徐々にマシになってきているし、多分この件で心療内科などに行ったらショックで鬱っぽくなっているという話にもなりかねず、できればそちらに展開せずにいたかったから、「自分は少し馬鹿」と感じながら生活している。

コロナ禍は特に体力もなかった(最中に散歩をするようになり、今は過去最高に動ける気がしているが)し、一人の部屋で同じ生活を繰り返していたのが余計に自分を参らせたのだと思うが、とはいえ、当時の静かで清潔なメジロの街や大きなおとめ山公園は同時に私を癒してもくれていたし、小さなプロジェクターで部屋の壁や天井に好きな映画やドラマ、誰かが公開した映像作品などを投影して浸った時間は特別だった。

なんにせよ、叔母の死は今後ずっと持って歩くしかないもので、ショックは薄れはしても消えはしない。

人間として幸せに暮らすことと、思うようにものづくりをする体力や気力、技術や才能があるということは全く別のことだ。
全部を一気に満点にしようとせず、大事なところから、できるところからやるしかない。悩みではあるが、どうにもならないとわかっている。
2024/12/15(日) 記事URL
朝、起き抜けに夢を見た。ベッドのある部屋の向こうで、夫が私の嫌いな音楽をかけているのが聴こえる。そこへそっと起きていくと、「いない間に聴くつもりだった」と言われる。でも、私がいた場所と音楽を流していた場所は引き戸一枚しか隔たりがない。
その後も、夢の中の夫は脇毛を処理したという見知らぬ女性に本当に毛がないか触って確かめたり、私に何か嘘をついて女性のいるところへ遊びに行ったりしていた。

しかし、私の気持ちは妙に落ち着いていて、怒りや悲しみより先に「夫はこういう風にすると決めたんだ」「私のことがもう好きじゃなくなったことをこういう方法で示す人だったんだ」と思って、今後どうしていこう(生活や身の振り方など)と考えていた。
これまでとても上手くいっていたから、まさかこんなことになると思わなかったけど仕方がないとも思っていた。

そのうちうっすら夢だと気がついて、自分はこんな最悪なことが起きてもそんなに驚かないんだなと、そのことにびっくりした。
いつも、もっとホラー的な怖さの夢を見た時は、内容を覚えていない上に悲鳴をあげて目を覚まして寝ぼけた夫に宥めてもらうほどなのに。

私は歯の噛み締め、食いしばりが本当にひどくて治療に難儀しているのだが、こうやって自分のうちで勝手に作り出してしまった嫌なことすらストレスにしてしまっているのだろうなと思う。
2024/12/14(土) 記事URL