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父の部屋
先日京都に旅行に行って、単身赴任している父の部屋を訪ねる機会があったのだが、けっこう散らかっていて少し驚いた。
一人で暮らすにはかなり広めの部屋なのだが、使っていない和室以外がとにかく物で溢れていて、床掃除もあまりできていないみたいだし、家具や家電もすごく便利に配置しているという感じではない。
忙しそうではあるので仕方がないとはいえ、もう長く住んでいる部屋であるのに住まいとしてこなれた感じがなかった。
そもそも、家族の共通認識としては父より母の方が片付けや整頓が苦手なはずだったが、それは要するに、父が家事をしていなかったから父の片付けのスキルレベルが誰にも知られていなかっただけの話で、両親とも片付けは得意でなかったのだ。
父の部屋が住まいとしてこなれない理由としては、父が意識的にしろ無意識的にしろ、社会的な成果の後ろや下に生活があると思っているからじゃないかと言うのも挙げられる。少なくとも実家に住んでいた頃の私には父はそう見えていたし、京都に住み始めたばかりの時も、家具にも食器にも全然関心がないんだなあと驚いたものだった。
仕事が徐々に落ち着いてくる年齢に差し掛かった父は、少し生活そのものを質の良いものにしたそうだが、生活を楽しむのは蓄積が大事なので、急にそうなるのはなかなか難しい気がする。
そのことについて話していて印象的だったのは、父は仕事柄作品や作品に類似したものをよくもらったり買ったりするのだが、無印の大きな棚にそれらを箱のまま、あるいは箱から出したものを無造作に重ねて積んだり並べたりしていた。私は「もったいないからもっといい感じに飾ったら」と言ったのだが、父は「見せる人がいないからさ」と答えた。
私にはこれは驚きだった。自分の家を居心地良くするのは自分のためで、よい感じに飾った何かを見せる対象は真っ先には自分だ。
しかし、思い返すと両親とも、片付けや整頓に関して「自分の喜びや楽しみのため」というのはほとんど目的にないことだろう。
私が片付けられるようになったのは美輪明宏の『おしゃれ大図鑑』という本を読んだことがきっかけなのだが、この本で私は「部屋を整えるのは自分のため」という視点を手に入れたのかもしれない。
ささやかでも部屋を片付けて好きなものを飾るのは自分の満足や居心地のためで、人に見せるためだったり、「整理整頓しなければならない」という規範のためではないのだ。
片付けられなかった子供の頃、両親が言うのは「ものを大事にしなさい」ばかりだったが、これは大事なことではあるが実際の片付けや整頓に際して全く実践的なアドバイスではなかった。
私は自分の持ち物が大事でないわけではなく、片付け方とその目的がわからなかったのだ。
2025/03/26(水)
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左耳のピアスの穴
去年、左耳にピアスの穴を増やした時、おじいさんのお医者さんと若い女性の看護師さんが、私が穴を開けたい位置を確認してくれた時「ここにほくろがあるから、そこに被らないようにしよう」という趣旨のことを話していて不思議な気持ちになった。
私自身は自分の左耳のほくろに思い入れはなかったが、確かにピアスの穴でほくろを潰してしまうのはなんとなく良くないような、勿体無いような気がして、言われた通りにほくろを避けて穴を開けた。結果、左耳はピアス、ほくろ、ピアスという感じになり、看護師さんも「三つ並ぶ感じですね、なるほど」と妙に納得していた。
ほくろは案外、大事なものなのだろうか。
2025/01/19(日)
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お正月なので観てなかった映画を
『ルックバック』
とにかく美しいアニメと控えめで良い演技の映画だった。
色彩や音楽の効果が大きくて、原作を読んだ時のビターさとか、あの時期だったからこそ自分も一緒に重々しく悲しみを感じた雰囲気はなく、恐ろしい事件も描かれて入るが、どちらかといえば青春の物語になっていた。ただ多分、印象に残っているのはそれでも原作の方。
『PERFECT DAYS』
良い映画だったが、見る側の認識でだいぶ誤解を生むなあと思った。
日本で生活している一般市民の私からすれば、市井の人の中でもとりわけたちのいいおじさんを描いたファンタジーで、あの生活をじっと見ていると楽しいけれど、果たしてトイレ掃除の仕事だけでこの生活が維持できるだろうかとすぐに疑問になってしまう。(毎晩の銭湯代、晩酌代やフイルムカメラの現像代等々)
後々登場した妹が運転手付きの車でやってくるのも、まるで海外のお金持ちみたいで、日本ではなかなかなさそうな描写だ。
観ていてどうしても引っかかるのは、この映画の作り手側がファンタジーのつもりなのか、リアリティのある良い話のつもりなのかがよくわからないところだ。
田中泯のホームレスの表現などはファンタジックと言えなくもないが、主人公、平山の生活描写は細やかだし、どっちつかずな印象。
あんな生き方はそうそうできないけれど素敵だよねという提示なのであれば「そうだね」という感じ。
2025/01/04(土)
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私の悩み
先日、話の流れでどんな悩みがあるのかと聞かれることがあったが、上手く答えられなかった。言いにくくて口に出せないのだ。
コロナ禍で叔母が自死してから、自分が少し馬鹿になったような気がしている。頭が回らなくなったというか、考えることに疲れるのが早くなったというか。
それ自体は徐々にマシになってきているし、多分この件で心療内科などに行ったらショックで鬱っぽくなっているという話にもなりかねず、できればそちらに展開せずにいたかったから、「自分は少し馬鹿」と感じながら生活している。
コロナ禍は特に体力もなかった(最中に散歩をするようになり、今は過去最高に動ける気がしているが)し、一人の部屋で同じ生活を繰り返していたのが余計に自分を参らせたのだと思うが、とはいえ、当時の静かで清潔なメジロの街や大きなおとめ山公園は同時に私を癒してもくれていたし、小さなプロジェクターで部屋の壁や天井に好きな映画やドラマ、誰かが公開した映像作品などを投影して浸った時間は特別だった。
なんにせよ、叔母の死は今後ずっと持って歩くしかないもので、ショックは薄れはしても消えはしない。
人間として幸せに暮らすことと、思うようにものづくりをする体力や気力、技術や才能があるということは全く別のことだ。
全部を一気に満点にしようとせず、大事なところから、できるところからやるしかない。悩みではあるが、どうにもならないとわかっている。
2024/12/15(日)
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あらゆる悪夢
朝、起き抜けに夢を見た。ベッドのある部屋の向こうで、夫が私の嫌いな音楽をかけているのが聴こえる。そこへそっと起きていくと、「いない間に聴くつもりだった」と言われる。でも、私がいた場所と音楽を流していた場所は引き戸一枚しか隔たりがない。
その後も、夢の中の夫は脇毛を処理したという見知らぬ女性に本当に毛がないか触って確かめたり、私に何か嘘をついて女性のいるところへ遊びに行ったりしていた。
しかし、私の気持ちは妙に落ち着いていて、怒りや悲しみより先に「夫はこういう風にすると決めたんだ」「私のことがもう好きじゃなくなったことをこういう方法で示す人だったんだ」と思って、今後どうしていこう(生活や身の振り方など)と考えていた。
これまでとても上手くいっていたから、まさかこんなことになると思わなかったけど仕方がないとも思っていた。
そのうちうっすら夢だと気がついて、自分はこんな最悪なことが起きてもそんなに驚かないんだなと、そのことにびっくりした。
いつも、もっとホラー的な怖さの夢を見た時は、内容を覚えていない上に悲鳴をあげて目を覚まして寝ぼけた夫に宥めてもらうほどなのに。
私は歯の噛み締め、食いしばりが本当にひどくて治療に難儀しているのだが、こうやって自分のうちで勝手に作り出してしまった嫌なことすらストレスにしてしまっているのだろうなと思う。
2024/12/14(土)
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