私が精神的に一番苦しかったのは、十代の半ばから二十代の半ばくらいまでだ。意識して長い文章を書き始めたのもちょうどその頃だったけれど、当時は自分で自分を治療するような意味合いが大きかった。

高校生の頃、自分の心がどーんと落ち込んでいったきっかけを思い返すと、今でも解決できない矛盾にぶつかってしまう。
私は美術を学べる高校に入ったのだが、当時の女子高生は「コギャル」や「女子高生の売春」の問題がすごく取り沙汰されていた時期で、社会的なブームのひとつだった。女子高生はさながら、流行りの性の対象、みたいなかんじだったのだ。
私はまったくギャルっぽさのない女子高生だったが、制服でいても、私服でいても、見た目は全然おかしなところのない背広を着た男が、街中で「いくら?」と話しかけてきたりした。
私は、そういう背広を着た男たちが会社に行って仕事をして、日本の経済、社会を回しているのだと思った。私も今後、学校を出たらそんな社会に入っていくのか、と思ったら、もう暗澹たる気持ちしか湧いてこなかった。
当時のニュースでは供給する側の少女たちばかりを取り上げていたように思うが、社会的に何の問題もなさそうな男たちが買春している事実はどこまで掘り下げられただろうか。

通学路、民家の木には使用済みのコンドームが成っているみたいにぶら下げてあったし、登下校中は痴漢に気を付けて、ポケットには髪に留めるピンや、安全ピンを忍ばせている子もいた。ああいったことは誰に言えば助けてくれたのだろう。
そういったことで蓄積された女性であることでかかってきたストレスが爆発したのが、私が一番病んだ時期だった。

小学生のときは、自分は女の子だけど、もっとフラットな存在だった。少女漫画の中でキャラクターが恋愛していても、自分には全く関わりのない物語として楽しんでいた。それが変わったのは中学入学以降だ。
私は第二次性徴は芳しくない子供で、今でも胸は平らだし、生理が来るのも周囲に比べたら遅めだったように思うが、それでも女性として見られるようになった。そこで、フラットだったはずの自分が、周囲の男性の視線に合わせた仮面を持ってしまったのだ。あまりにそれを求められるから、かぶった方がいいのかと思って、とか、かぶって慣れちゃえば楽かなと思って。とその程度の無意識さでかぶり始めた仮面は、すぐに石仮面のように顔に同化してしまった。実際、その方が楽な場面もすごく多かった。
私は自分が女の子であることで、女である前に自分がいったいなんなのかわからなくなっていってしまったのだと思う。
それはもう、小説を書き、なんでも見聞きし、男性とも関わりまくったが、仮面はなかなか取れなかったし、自分にあるのは都度の好き嫌いや判断だけだった。
死んでしまいたかった。

その苦しみが緩和され始めたのは、けっこう後になってからのことだ。
きっかけは、実家から出て一人暮らしをしようとしたとき、最初に行った不動産屋でのことだった。私の担当に着いた明るい茶髪でロン毛のおじさんの案内で物件を決め、契約書を交わした段階で、そのおじさんから「契約おめでとうございます!とりあえず飲みに行きませんか?(絵文字)」みたいなショートメッセージが届いたのだ。つまり、おじさんは私が契約書に書いた連絡先を勝手に自身のスマホに登録して私を誘ってきたわけである。
私は「やっと契約したところだけど無理かも」と両親に話した。
その時、事態を把握した母親が咄嗟に「慶、どんな格好で不動産屋さんに行ってた? お化粧してた?」と聞いた。
私はそれにすごく驚いて、一瞬、止まってしまった。すごく傷ついた。仮に自分がミニスカートだったら私が悪いのか、逆にノーメイクでズボンなら、同情されるべきことになるのかと一瞬で考えた。
すると、父がすぐに横から「どんな服装でも化粧してても関係ない、勝手にアドレス使って連絡してくる方が悪いよ」と言った。
母は別に私を批判しようと思って聞いたわけではなかったそうだが、私はその件で母に対しては長年どこか不信感を抱いており、その後もたびたび人権意識というか、女性感というか、その辺で齟齬があるといちいち言うようにしている。(基本的には仲はいい方だと思うんだけど)
不動産屋には父が大きくプリントしたメールのスクリーンショットを持って行き、賃貸契約を解除した。

この不動産屋事件をきっかけに、私はやっと、自分がどんな格好をしていても、男性が性的な目を向けて不用意に何か言ってきたり、いやなことをしてきた場合、向こうが悪いと全力で怒っていいのだとはっきりとわかった。
すごく遅く感じるかもしれないが、私が二十九歳くらいの頃は、痴漢に遭う女性がいても、女性の側にも落ち度があったのでは、みたいな意見の人の声が今よりずっと大きくて、それがさほど問題にもならなかったのだ。

私が二十代を苦しんでいるころ、よく年上の女性に「30過ぎたら楽になるよ」と言われていた。それはもちろん、大人になって何かが理解できたり、今より問題に対処できるようになるという意味合いもあったとは思うが、年を重ねると、男性目線で作られた女性像に振り回されることがものすごく減っていくからということともとれる。
実際、私は三十歳を過ぎてすごく楽になったが、その一端には確実に、自分がある種の男性の言う「若い女」のカウントから外れたからであるような気がする。
それでも、変なことを言われたりされたりすることはあるし、こういう話をすると「そういう話、する人なんだ」と面倒くさそうにする人もいる。でも、私は少なくとも今の社会の方が少しは生きやすくなっている。
2021/07/30(金) 記事URL