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穴
Aが亡くなって10年だそうだ。そういえば、私は大体10年前に実家を出てひとりで暮らす家を探していて、外出中に父から連絡をもらったのだった。
人の死は埋まらない。こうやって思い返すとき、ドラゴンボールの戦闘シーンみたいに、お腹に大きな穴が空いたままのように思うことがある。その代わり自分にもともと空いていた穴は年々うやむやになっていくが、どちらにせよ穴とやっていくしかない。
私の元の穴をぼかすかたちで、彼らは彼らの方法で私を助けてくれる。私の勝手な思いではあるが。
2022/03/03(木)
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思い出
意識して写真を撮らなかったから、目を閉じた時に思い出す景色がいつもより鮮明な気がする。小さな雪が目に入る気持ちよさとか、刺すような鋭い寒さ。いくつもの可愛い窓辺。
そうやって何度も思い出すうちにはっきりと記憶していくけど、その代わり、実際を見たら全然違っていたりするのが思い出のおもしろいところで、写真と違うところだ。
それにしても、普段の生活圏から出て遠くにいる自分は、思い返すとどこか別人のように思える。
2022/02/20(日)
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空き瓶
叔母が死んで以来、ここには特にあんまり人に読ませる気のない事をコソコソ書いていて、それがちょうど良いのでまだまだコソコソし続けよう。
ここ二日、雪なのに出かけねばならず文句を言いながらもちゃんと早起きして出かけた。あったかインナーにズボン下に、足の冷えない靴下に手袋にとやりすぎなほど防寒して、実際ちょっとやりすぎだった。
お店がすっかりなくなったビルや、人気のない広場、がらんとした美術館。その奥でお菓子を食べる。
インスタントコーヒーの粉の入った瓶に「詰め替えが買ってあるので瓶を捨てないで」と書いたメモが貼り付けてあった。
2022/02/11(金)
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めんどう
ときどき、電車に乗るときに、目指す駅に着くまでにこの車内で殺されるかもしれないと思う。だから何をするというわけではないが、刺されるか、殴られるかもしれないと思う。すぐに忘れるけれど。
高校生のときは痴漢に遭うかもしれないと思っていたし、街を歩くときは会社員風の男に「いくらですか?」と声をかけられるかもしれないと思っていた。
だから何をするというわけでもなかったが。
いつでも、知らない男が声をかけてくるかもしれない。そうしたら、怯まず無視を決め込まなければならない。通りすがりにどんなに酷い捨て台詞を残されるとしても。
不動産屋が男だった場合はとりわけいろいろなことに気をつけなければならない。彼らは私の個人情報のほとんどを握ることになるから。
どこへ内見に行く時も、すぐにスマートフォンで証拠を残したり、助けを求めたりできるように気をつけて、親しみを持たれないように振る舞う。
何においても何かのサービスで私の担当をしている人が私の下の名前にさんをつけて私を呼ぶときは要注意だ。私は相手にわかるように、でも憎まれない態度で自分達は他人だと示さねばならない。
あるいはもう、その会社に訴えるしかない。私を下の名前で呼ぶのは友人や家族だけですと。
めんどうくさい。
2022/02/09(水)
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作ること
自分のことを許し始めるとものが作れなくなるという感覚はここ数年ずっとあって、たぶん離婚してからその傾向は強くなったように思う。
自分を許し始めるというのは、どんな自分でも仕方ないと認められるようになるという感じで、よく言えば自己肯定の一環だろう。
何をしていても自分が損なわれないとわかっていくというか。
つまり、私にとっても文章を書けている私、小説を書けている私という状態がある種ステータスになっていたのかもしれない。それは裏を返すと、何か書いていないと認められない、愛されないみたいな話になっていきそうだが、幸い私はそこまで思いつめてはいない。
ただ、今はより良い作品を残すことと同時に、どうすれば自分が幸せになるのかを考えているかんじだ。
だから、例えば「より良い作品」と「幸せ」がイコールになっている人が、本当に才能のある人なんじゃないかと思ったりする。
もちろん、何か作る幸せはいつも味わっているけれど、もっと根本的な、私にとって愛しやすい自分を作るみたいなことを考えている。
2022/02/05(土)
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