でもたぶん、あのくらいの話ならみんな似たような経験をしているはずだ。話したら余計に嫌な気持ちになる場合(はっきり断ればいいとか、思わせぶりだったんじゃないかとか言われること)を避けて黙っているけれど。

これでも少しは変わったのだ。例えば昔のように、被害にあった側に「ミニスカートを履いていたのではないか」というような見当違いなことは流石に言われなくなってきた。被害にあったこと自体を話しやすくもなってきていると思う。でも、根本的な解決は加害しない人を育てることだ。何が人を傷つけるか、怯えさせるかわかる人。自分と相手が別の生き物で、相手も生身の人間だとわかる人。

一個思い出すと芋づる式に色々思い出す。どれもよく乗り越えたと思うけど、本来なくてもいい苦労だし、誰にもそういう目には遭わないでほしい。
2022/06/30(木) 記事URL
叔母が亡くなってからブログがあんまり暗いのでTwitterのプロフからサイトのURLを消した。自分で読み返しても大変だったなと思う。
大変だったと思えるだけ今はマシなのだろうが、時々真っ暗にした部屋でぼーっと悲しみだけを見たい気持ちにはなる。
心の裏側で感じ続けている悲しみに疲れてしまうのだ。

でも、その悲しみの中に、人をぎゅっとした時の気持ちもある。いいのかな、大丈夫かなと思っている自分や、髪の毛とか肩の感じとか。
安心と、自分の抱える根拠のない後ろめたさ。欲とか、もっと別の色々な気持ちのグラデーション。そういうたくさんの情報。
2022/05/23(月) 記事URL
スクーリングに行き、翌日は霊園を見学した。母方のお墓を山の上からお参りしやすい都内に移すことになったのだ。

昨年、叔母が亡くなったことがショックで、何かというとすぐに泣いて、かなりはっきりと「自分の気持ちなんてもう誰にも伝わらなくても構わない」と思う瞬間があった。それで、もう書けないと思ったり勉強し直そうと思ったりしているタイミングでせめてしゅういちの話をもらった。自分に注視しなければならない状況が辛かったし、他人を知りたかった。それで自然と浮かび上がってきた企画だ。
体力的には大変だったが、個人的にはセラピーのような要素も大きかった。それぞれ思いつきで話しているようで、その場で一番良いフックを探して掴もうとしているみたいなやりとり。インタビューという体裁を取ってはいるが対話だ。

去年の夏、叔母が亡くなってから、葬儀の打ち合わせをして葬式をした時期のことは時々すっかり忘れている。
去年の夏、何もしてなかったな〜なんて思って、実際そう口にも出して、だいぶ後になってから「違う、叔母が死んでバタバタしてた」と思い出したりする。そういう用事をさくさくと済ませては、家に帰ったら泣いていた。あの時終わった何かは結局取り戻せるのかどうか私にもまだわからないのだ。
2022/05/17(火) 記事URL
私は素直に人に甘えるのが本当に苦手で、例えば私が連絡不精なのを許してくれたり、言葉少ななのをわかってくれたりしている友達はみんなとても優しく、私の甘えを受け入れてくれているのだと時々反省する。

でも、素直に甘えるってどういう状態だろう、とも思う。私は悲しい時、その話を聞いてもらうより、苦しむ私のそばで普通にしていてと思うことがある。そこにいてくれさえすれば、ビールを飲んだり、眠ったりしていてくれて全然構わないのだ。むしろそれを確認することで、少し安心する気がする。私が苦しみ終わった時、「私もビール飲みたい」と言ったら一緒に飲ませてくれたら、それが一番いいような気がする。
ただ、それでは距離があると感じる人がいることもわかってはいる。
2022/04/01(金) 記事URL
さまざまな仕事で他人と話すことがだいぶ好きになってしまったため、インタビューはとても楽しい。その人らしい何かが垣間見れると嬉しいし、こちらの力にもなる。でも、なんだか力加減がわからなくておかしな疲れ方をしてしまう。これが要するに「下手」ということなのだろう。

自分で発案したくせに、私はこの本ができたら、年老いてから懐かしむようなものになるなと思うとゾッとしてしまう。

ここのところ悲しいことばかり起きていて、好きな人たちと会えることだけが自分を生かしていると感じている。
何か作るのは相変わらず辛い。だいちゃんと話した時に自分が言い出した、文章を書いてないと好かれない、必要とされないみたいなテーマが、私に色々なものを捨てさせようとする。

この辛さをこそ書かなくちゃいけないのだろうなと思いながら作業している。
2022/03/11(金) 記事URL