自分のことを許し始めるとものが作れなくなるという感覚はここ数年ずっとあって、たぶん離婚してからその傾向は強くなったように思う。
自分を許し始めるというのは、どんな自分でも仕方ないと認められるようになるという感じで、よく言えば自己肯定の一環だろう。
何をしていても自分が損なわれないとわかっていくというか。

つまり、私にとっても文章を書けている私、小説を書けている私という状態がある種ステータスになっていたのかもしれない。それは裏を返すと、何か書いていないと認められない、愛されないみたいな話になっていきそうだが、幸い私はそこまで思いつめてはいない。

ただ、今はより良い作品を残すことと同時に、どうすれば自分が幸せになるのかを考えているかんじだ。
だから、例えば「より良い作品」と「幸せ」がイコールになっている人が、本当に才能のある人なんじゃないかと思ったりする。
もちろん、何か作る幸せはいつも味わっているけれど、もっと根本的な、私にとって愛しやすい自分を作るみたいなことを考えている。
2022/02/05(土) 記事URL