十六日、伸びたショートヘアを近所の美容院でカットし、ソーシキ博士の展示を見に高円寺へ。高円寺の駅にはいつぶりに降り立ったかわからないくらいで、駅の周辺の雰囲気もどんなお店があったかもまるで覚えておらず、お昼を駅のベックスコーヒーで済ませる。ミスタードーナツは潰れてしまったみたい。

駅の脇の道を歩いて、小さな飲み屋と住宅街の境目くらいにギャラリーがあり、知らない人が展示風景をぐるりと動画に収めているところに意図せず映り込んでしまう。
じっくり絵を見て二枚写真を撮り、自分が何者かバレていたので焦りながら冊子を二冊買い、他に言いようのない「無理しないで」というようなことを言って帰る。
「執筆がんばってください」と言われたことが心に残る。今の自分はなかなかがんばれていないと感じるから。

電車の乗り継ぎが多いので、待ちきれず駅のホームで冊子の包装を解いて読み始める。切実で飾り気のない日記に涙が出る。

夜、家人がイベントのため髪にシルバーのカラーワックスを塗ったまま帰宅。スウェットにも塗料がついてしまっている。
どこか興奮冷めやらぬ大変だった仕事の話を聞き、こちらも少し高円寺の話をする。しかし、その後かねてから停滞しているある手続きの件で私が怒り心頭。翌日が休みなこともあって色々話す。

翌日、話の流れで博士の日記を彼に読み聞かせる。今、ちょうど半分くらいだ。

あまくろという猫の名前があまりにも素朴でかわいく、つい何度も声に出してしまう。
あまくろちゃん。
2024/11/16(土) 記事URL
昼頃、予約していた歯科に行くが、混んでいるせいかなかなか順番が回ってこない。待合室でぼんやりしていたら、先生がわざわざ出てきて「遅くなっててごめんね、もうちょっと待ってね」とすまなそうな顔をして見せた。
他に用事はないので「大丈夫です」と答えたが、最近、もう一人の先生が産休に入ったから忙しいのだろうか。結局、予約より二十分ほど押して私の治療が始まった。
先生は忙しそうな場合、焦りが全面的に表に出る。基本的に感じは良いし、多分腕も良いと思うのだが、歯科助手のミスに厳しくなったり、せかせかした雰囲気が目隠しのタオル越しに伝わってくると居心地が悪い。それでも治療は無事に終えて、駅ビルの本屋を覗き、家に帰って遅い昼食をとった。

金川晋吾さんの展示についていまだにぼんやりと考え続けている。ネットを漁るとインタビューや日記などが読めるから、日々情報が更新されていくせいだろう。
私には、今のところ「自由やリベラルさを求める、あるいは大事にしようとするあまり、結局それらにがんじがらめになっている」ように見える。今、決まっている形から敢えて外れようとして、外れたところで「しっくりこない」と悩んでいるように見える。もちろん、もっと変わった違う人間関係の形が金川さんにはあっていて、それが見つかっていないだけかもしれない。でも、闇雲にそれを探すことと生活や人生はあまり相性が良くない気もする。

あの作品群や文章は、何が正しく、何が間違っているということもないと示しながら、どこか観るものがジャッジを求められるような印象があり、私には少し窮屈だ。
金川さんの悩む「寂しさ」は、多分一生付き合っていくもので、私の考えでは、それは性愛で埋まることはない。ただ、人間はそれを吐露したり、何かしら反応をもらったりする相手が必要なのだ。
他人がいなければ、自分の姿ははっきりとは見えない。一人でいたいという時は、自分の姿を見たくない時。何者でもなくなりたい時だから。
2024/11/02(土) 記事URL
休みの日、二人でカレーやうどんなどを作って食べていると鍵っ子みたいだなと思う。でも全然寂しくない、大人がいないからのびのび振る舞えるねとふざけあっている子供たちだ。
 


久しぶりに連絡してくる男性にはだいたい「同じ場所にいるもの」と思われているようだが、大体それまでとは全然違う場所にいるのでがっかりされる。いや、私が変わってしまったことをがっかりするのは、単に下心があって寂しい人。変化を褒めたり、喜んでくれるのは私にとっても大事な人だ。



ずっと迷っていなければできないこともあると考える。あるいは、人は別に中年になったからといって全く完成されない。
2024/06/27(木) 記事URL
美容師さんが、「自分のための時間ってありますか? 何してます?」と聞いた。散歩や読書を例に出された。確かに好きな時間ではあるが、あまりピンと来なかった。
自分のための時間というのは、私にはちょっと定義が難しい。

美容師さんほどではないけれど、私の毎日もそれなりにルーティーンがあって、自分のためにも人のためにも、それ以外の全体のためにも色々していて、線引きがしにくい。
「自分のため‘だけ’の時間」ということなら、私は疲れているとき、たまにどうしても知らない人ばかりのカフェで一人きりでぼんやりしたいタイミングが来るが、それは美容師さんが想像する「自分のための時間」とは少し違う気がする。

美容師さんのは自分のために有意義に使うちょっとした時間。私のは、自分の社会的な役割から一時的に逃避する時間だ。
逃避時の私は精神的にくたびれていて、ぼんやりというのはまさに呆然としているだけの時間なのだ。
2024/03/15(金) 記事URL
自分が人の生活の一部になっている感じって、家族と暮らしていた頃、その中でも本当に子供だった頃に味わった以来であまり馴染まない。
たぶん安心したほうがいいんだけど、まだちょっと上手くできず、自分が不安定な最中にいるような気持ちが続いている。いつでも、なんでも捨てて、どこにでも行けるんだぞと心のどこかで唱えていることこそが、私のお守りになっていたから。
2024/03/05(火) 記事URL