昼頃、予約していた歯科に行くが、混んでいるせいかなかなか順番が回ってこない。待合室でぼんやりしていたら、先生がわざわざ出てきて「遅くなっててごめんね、もうちょっと待ってね」とすまなそうな顔をして見せた。
他に用事はないので「大丈夫です」と答えたが、最近、もう一人の先生が産休に入ったから忙しいのだろうか。結局、予約より二十分ほど押して私の治療が始まった。
先生は忙しそうな場合、焦りが全面的に表に出る。基本的に感じは良いし、多分腕も良いと思うのだが、歯科助手のミスに厳しくなったり、せかせかした雰囲気が目隠しのタオル越しに伝わってくると居心地が悪い。それでも治療は無事に終えて、駅ビルの本屋を覗き、家に帰って遅い昼食をとった。
金川晋吾さんの展示についていまだにぼんやりと考え続けている。ネットを漁るとインタビューや日記などが読めるから、日々情報が更新されていくせいだろう。
私には、今のところ「自由やリベラルさを求める、あるいは大事にしようとするあまり、結局それらにがんじがらめになっている」ように見える。今、決まっている形から敢えて外れようとして、外れたところで「しっくりこない」と悩んでいるように見える。もちろん、もっと変わった違う人間関係の形が金川さんにはあっていて、それが見つかっていないだけかもしれない。でも、闇雲にそれを探すことと生活や人生はあまり相性が良くない気もする。
あの作品群や文章は、何が正しく、何が間違っているということもないと示しながら、どこか観るものがジャッジを求められるような印象があり、私には少し窮屈だ。
金川さんの悩む「寂しさ」は、多分一生付き合っていくもので、私の考えでは、それは性愛で埋まることはない。ただ、人間はそれを吐露したり、何かしら反応をもらったりする相手が必要なのだ。
他人がいなければ、自分の姿ははっきりとは見えない。一人でいたいという時は、自分の姿を見たくない時。何者でもなくなりたい時だから。