BGMのない、赤ん坊が寝転んでいる動画を見ている時、思っていたよりすぐに居心地が悪くなった。それは長尺の作品の一部でなんの設定もストーリーもない動画だったから、余計に居た堪れなくなった。
それをパソコン画面に映して、座って見ている彼の後ろ姿が、より私を居心地悪くさせたが、彼にもまたなんの他意も意図もなく、ただその作品を見ていただけだった。
私は自分が子供を持たなかったことに罪悪感があるのかと考えたがそうではない気がする。たぶん、自分の意思で子供を持たないと決めてそうしたのだという気が未だにしていないのだろう。その都度考えてはいたが、結果的にそうなってしまっただけ。そこには何かを諦めたという気持ちが含まれているからもやもやするのだ。
それに、私はたぶんもう子供を持てないが、彼はどうしても欲しいと思えば方法がある。それが羨ましいのかもしれない。
『君たちはどう生きるか』に「悪意」の話が出てきたが、悪意のない石を積めば穏やかな世界を作れるという大叔父も、自らの頭に傷をつけた自分にもまた悪意があるという主人公にも、私は少し憎しみを抱いていた。彼らの悪意がその程度であることに驚きすらあった。一方、病院の火事で亡くなった母や、その代わりに後妻となった叔母の悪意はどこへ行くのだろう。
だから赤ん坊が見たくないという話ではない。私一人の悪意であんな世界いつでも壊せるという話だ。