ここ何日か、叔母の遺品を取りに警察署へ行ったときのことを思い出している。
周囲は民家ばかりの中に突如、ニョキっと建っていた大きな薄茶色の警察署。入り口付近は黒っぽい石造りで重厚感があり、夏場は余計に暑苦しく見えた。
そこに辿り着いただけでも既に汗だくでヘトヘトだったし、私も母もとにかくやるべきことを順にこなしているだけのくたびれた人形みたいだった。

私はあの時期、久しぶりに自分の体が自分のものでないような感覚にずっと襲われていて、それでも外では普段以上にテキパキとなんでもやったが、家に帰るたびに膝から崩れ落ち、喉を潰すみたいに鳴らして泣いた。
叔母の死そのものへの純粋な悲しみよりも、叔母の苦痛や選択に自分が関わっていなかったことやうまく関わりようがなかっただろうことに絶望していた。
今やっていることをすべてやめて、細々と生きているうちに死を願わなくてもどうせ野垂れ死にするだろう。そういう漠然とした「もう人間なんかやってられるか」という考えがずっと頭を巡っていた。

そういう思い出は私を無気力にさせる。自分は本当は空っぽで、何も好きじゃなく、何も信じていないのではないか。
だとしたら、ここにいることすら不誠実な行いに思えてくる。
2023/02/15(水) 記事URL