私だってこれだけ長く生きていれば、内罰的な自分をピアスの穴として控えめに表現することだってできるようになるのだ。クリアな石のついた医療用のピアスは思ったよりずっとかわいい。
あっという間に耳たぶに新しい穴が開いて、うずうず、ずきずきとした痛みを携えて電車に乗るのは楽しかったが、その小さな穴から自分の不安が噴出するような気がした。
誰かと暮らすことはこれまでの生活に相手が足されるのではなくて、根本的に生活を作り直すみたいな話だ。
私はたとえば、家に帰れば会えるのだからという合理に組み込まれるのではないかとか、そういうありがちなことを心配している。ありがちなことは起こりがちなことだから、漠然とした「うまくいかないかも」みたいな心配よりも悩む価値がある。
耳たぶの小さな穴から溢れ、滴っていく不安。そのイメージだけでも、少しは本来の自分の姿に近づいたような気がする。