子供の頃、夏になると叔母の日本画を見るために銀座のデパートに行った。叔母はある有名な美人画の先生に弟子入りのような感じでついていて、デパートに行くとその先生にも会ってあいさつした。

私にとって、先生は私や母のことを美人だとか、将来モデルになってほしいとか言ってくるただのすけべな爺さんで、その爺さんの描く美人画も、日本画のことが全くわからないことを差し引いても決して魅力的には映らなかった。その点、叔母は植物や生き物の絵が上手で、ジジイの絵よりよっぽどうまいのに、といつも思っていた。
門下には叔母の姉弟子のようなおばさんもいて、子供の頃の私の印象では、彼女はすけべな爺さんのやり方を完全に内面化していて、叔母とは全然合わない怖い存在だった。しかし、叔母は日本画を学んでやっていこうと思う以上は、彼らの中で生きていかなければならなかったのだ。

叔母の家を片付けていたらジジイの画集が出てきて、裏を見るとジジイの地元には彼の小さな美術館が存在しているようだった。
あんな人が地元では美術館が立つほど持ち上げられている権威なのだ。まったく絶望的な情報である。

今日、久しぶりに、どうして高校の単位を取り直そうと思ったのか尋ねられて、一瞬固まってしまった。
昨年叔母が自殺して、自分に何もできなかったのは、あらゆる面においての知識不足、応用力不足、つまり自分がバカだから、叔母の世界を少しも良くすることができなかったと感じたからだとは言えなかった。
大体、私が高校卒業資格を得たところで、すでに止まってしまった叔母の世界は変わらないし、これから誰かの世界を良くできるかどうかもわからない。

だいぶ意訳して、コロナ禍で色々止まってしまって、高校の単位を取り直すとしたら、今が最後のタイミングだろうなと思ったのだと皆に説明していて、それは決して嘘ではない。
私はせめて私の世界を、もう少しだけほの明るく見えるようにしたいだけなのだ。たったそれだけ。
2022/08/24(水) 記事URL