心が動くのがめんどうくさいって、生きる態度としてすごく良くないように思えるが、たぶん「めんどうくさい」という言葉の印象が悪いだけで、結局「怖い」と置き換えられると思う。
ただ、「怖い」より少しだけ冷めた感じがあるから、それを加味すると「めんどうくさい」がより適当かなと思って、ずっとそう言っていた。

心が大きく動いたり、つまらないことでモヤモヤ悩む状態に陥ったり、その結果傷つくのがめんどうくさい。または怖い。だから一人でいて、一人でもそれなりに楽しくやっていたわけだ。
みんなに見守られ(心配され)ながら、あるいは関心を失われながら。

それって、側から見るとどうかわからないが、基本的に気にしすぎ、考えすぎの人間にとってはけっこう健やかなことだった。

でも、いつも新しいことをするときにはたくさんいろいろな物を捨てる。
宝物だと思っていたものでもなんでも、別の何かを得るためにはあっさりと捨てられる自分でありたいし、そうでなければ、新しいことがうまくいかないように思える。
だから今度は孤独な安寧を捨てるのかな。

なんでもぜんぶ持って行こうとするのって、ルパン三世が空中に散ったお宝を必死で掻き集めて、どうがんばっても腕から宝石がこぼれ落ちてしまうシーンみたいだ。
人が抱えられる分は決まってるということのイメージ。
2022/08/02(火) 記事URL