お盆の話などしていて、まんまと叔母のことを思い出し(また叔母の話!)俄に心がメソメソし始めた。

去年の夏、何を見聞きしても全然中身が頭に入ってこなかった数週間のことを思い出すと何とも言えない気持ちになる。あのときはもう何も続けないと思ったし、細かい記憶が全然ない。ただ、心を閉ざしても生活できるものだなという気づきみたいなものがあって、自分がこの先ずっとこのくらい閉じていても誰もわからないだろうなと思っていた。
もともと「共感」に強い関心はなかったが、よりなくなった。

今はある程度は心が開いている。
そうなってよかったと思う一方、またああいう傷つき方をすることがこの先の人生で絶対起こらないとは言えないと思うと、人生はしんどすぎるなと呆れるし、頭のてっぺんがちくちくと痛くなってくる。
2022/07/15(金) 記事URL
薄暗いPC眼鏡のレンズ越しに、大きな画面の中、小さなウィンドウを開く。
いつも少し戸惑っている。先月はもっともっと戸惑っていたし、今でも、このまま流れに身を任せて大丈夫なのだろうか。でも、流れに身を任せないという選択肢はもう捨てちゃったもんな、と時々考える。

私がなんでも整理して捨ててしまうのは、面倒くさいからと、そもそもそれほど選択肢などないものだと考えているのと、何かを持つことを失くすまでの過程の一つだと思い込んでいるからかもしれない。それに、昔のものって大抵は後で自分を傷つける気がする。

時々、私のことをあまり知らない人に「いいんですかね?」と聞きたくなる。でも、知らない人は常識的で他人に優しいから「いいんじゃないですか?」「いいと思いますよ」と答えるに決まっている。だから聞かないでいる。
2022/07/10(日) 記事URL
さみしくないのは、嫌でもつながっている、みたいなことに気づいたからかもしれない。
音響機材を見れば思い出し、ピザを見れば思い出し、あの人は元気かな、小花柄のスカート見てあの話題を思い出して笑ったらいいな。
なんとか生き延びていてくれたらまた会えるかもしれない。
でも、会えなくてもSNSで「元気です」って書いていてくれたら、今はけっこう満足なのだ。そうやってつながっている。

それでは足りない時もあるし、それでは足りない相手もいる。会いたいって言われたらうれしいから、そう思ったら私も伝えたい。
2022/07/01(金) 記事URL