全面的に部屋を片付けている。
実家を出たときと違って、とにかく触るもののすべてが自分が選んでそこに置いたものばかりなのでとても気持ちが悪い。何もかもが私を「構成しています」という顔をしていてグロテスクだ。
実家に埋もれていたころはあんなにすべてを自分の思い通りにしたいと思っていたのに。

大好きなくらげの置き物ももう使わないお鍋も、くだらないおもちゃも赤いボールペンも、どれも私の所有物というより、私の実像を支えるつっかえ棒みたいに見えてくる。私はこれらのものものがなければ、私として存在することさえ危ういのだという気がする。
私は相変わらず何者でもない。片付けはつづく。
2016/06/25(土) 記事URL
自分自身を過剰に守ろうとしない、新しい方法を、自分自身を使って試しているような気がする。仮に守ろうと足掻いていても生きていればどうしたって摩擦は起きるのだから、ある程度、傷つけばいいということだ。

そういう状況は客観的に見ればたいていバカバカしくて笑ってしまう。自分のことを「バカだな」と笑えれば、かわいがれるし、その先へ行ける。仲の良いだれかにも気安く笑い話にしてもらえる。

個人の生活においては、ずっと、甘く見られていたいのだ。甘く見られて甘やかされて、蜂蜜漬けのようになって、怖い、悪いものから遠ざかっていたい。それは、知らなければないものと一緒ということではなくて、私の世界にはあえてそういうものを置かなくてもいいだろうということだ。ただ生きていて目に入るぶんは、ちゃんと引き受けるから。
2016/06/06(月) 記事URL